ソ連介入後のアフガニスタン内戦

〜ムジャヒディン闘争史〜



 決して「穏やかな気候」とは言えないだろう。中央アジアの南に位置し、イラン・パキスタンに国境を接しているアフガニスタンは、冬になるとヒンズークシの白峰から吹き下ろす寒風に身をさらすことになる。冬は全ての活動を停止させる。この国の血なまぐさい主導権争いですら、その掟の前には従わざるを得ない、、、

 1978年12月、北方から最新近代兵器で武装したソ連軍が侵入、「シルクロード」の要衝として栄えたその地は、激しいゲリラ戦の舞台に様変わりした。そして冷戦終焉間際の1989年2月、約10年間続いたソ連の介入は「撤退」という形で終わる。反ソゲリラの英雄たちはイスラム国家の樹立を夢見て連合政権を発足させるも、失敗。以後、今日まで血で血を洗う内戦が続いている。

 今回、わたしはゼミの研究地域としてアフガニスタンを選んだ。一応「ソ連介入後」と銘打ってはいるが、調べているウチに「アフガニスタン現代史」と言われても仕方のないものが出来上がった。まぁ、現在を知るにはそれにつながる過去を押さえなければならない、というわけで目をつむっていただければ幸いだ。

 この論文はゼミの教授に対して見せるモノだが、せっかくWebで公開するのだから多くの人に見てもらいたいと思っている。もちろん多くの日本人はアフガニスタンの「ア」の字も知らないであろう。知っていても『ランボー3 怒りのアフガン』くらいか。しかし、それが普通である。これを書いている本人も研究テーマにする以前は全くと言っていいほど未知の地域であった。というわけで、全く知らない人でも「何となく理解できた」と思えるように、出来る限り優しく丁寧に書いていきたいと思う(書き手としてもその方が楽である、という事実は否めないが...)。

 多くの人にわかりやすい論文、ということでこの論文はアフガニスタンで内戦を行っているゲリラたちの闘争の歴史を中心に、30年前から現在に至るアフガニスタンを見ていくことにする。その方がアフガンに興味を持ってくれると思ったからであり、また現にわたしはそうやってこの問題にとりくんだ。本音を言えば、そうやってこの内戦を見ると「戦国国盗り物語」として見ることができるからだ。その方が「面白い」のである(人の生死を「面白い」と表記するのは真に不謹慎ではあるが...)。

 さて、文章表現能力の乏しい人間の前書きはこの辺にして、そろそろ本題に入りたいと思う。なお、文中に他の文字とは別の色でしかも大きく書かれているものは、クリックすると用語説明・注釈のページにリンクするようになっている。本文と合わせてそちらも見ていただくと、より一層わかりやすく、詳しく読めるだろう。最後に、この論文を書くにあたって手にした文献の多くは、拓殖大学海外事情研究所の遠藤義男教授によるものとアジア経済研究所の年次報告、そして2000年10月下旬に出版された『タリバン』(アハマド・ラシッド著 講談社)である。ハッキリ言ってこの論文はそれらを初心者向きに再編集したもの、と言われても致し方ないであろう。それが学生の限界というものだ、、、と都合良く勝手に決めつけて、論文の目次に移る。



2001年1月1日

目次

  • 第一章 地理・民族・歴史
  • 第二章 ソ連介入前夜
  • 第三章 ムジャヒディン政権誕生
  • 第四章 アフガニスタン戦国時代
  • 第五章 タリバン登場
  • 第六章 パキスタンの孤立と第二次グレートゲーム
  • 第七章 「アラブ・アフガン」と「オサマ・ビン・ラディン」
  • 終章 アフガンの地に、平和は来るのか。

    参考文献・参考URL一覧
  • それでは第一章



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    今回の事件に関して(2001年9月16日)

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    2001年7月14日